立ち読み

仏教の俯瞰図

ニンマ派九乗教判をもとに十五の区分でたどる教え

テーラワーダ、マハーヤーナから、ゾクチェン、ヤンティ・ナクポへの階梯

顕教編(序〜第17章)

ehi passiko

エーヒパッシコ ―― 来て、見よ

『増支部経典』(アングッタラ・ニカーヤ)

「来て、自ら確かめよ」——釈迦牟尼が教えの性質について説いた言葉。
信頼を出発点としながら、自らの経験によって確かめていく道。

序 本書について

本書は、仏教の全体像を解説したものです。釈尊の説いた最初の教えから、大乗仏教の菩薩道、密教、無上瑜伽タントラ等の後期密教、ゾクチェン、そして最奥のヤンティ・ナクポに至るまでを、「十五乗」の階梯に沿って辿ります。

その土台にあるのは、チベット仏教ニンマ派の見解です。ニンマ派は通常、仏教の教え全体を「九乗」——九つの乗り物——として整理します。本書の「十五乗」という整理は、陳健民先生の『仏教禅定』に学んだものです。九乗教判を土台とし、第九乗アティヨーガを、三部(セムデ・ロンデ・メンガクデ)と、口訣部に説かれるアティ・チティ・ヤンティへと、さらに細かく分類する点に、著者がヤンサン・ラナメパの理解を加えました。こうして示したのが、本書の「十五乗」です。各区分は伝統に基づきますが、それらを一列に配列して「十五乗」と数えるのは、本書の説明上の整理です。したがって、ニンマ派全体で共通して用いられる標準的な九乗の数え方とは区別してお読みください。

本書は、仏教についての予備知識を前提としません。

本書の書き方について、ひとことだけ申し上げます。

ここに書いたのは、あくまで私が考え、理解したことです。文の形は「〜である」「〜します」と言い切っている箇所が多くありますが、断定しているつもりはありません。そのつど「私は」と添えると読みにくくなるためで、そのようにお読みいただければ幸いです。

記述の典拠は三つに分けています。第一は経典・論書そのものへの参照、第二は現代の学術研究への参照、第三は、師から直接受けた口訣と、私自身が伝授の場で得た知識です。第三のものには、その旨をその都度記しました。

なお、本書は、この顕教編のあと、密教編へと続きます。密教編の内容をさらに深く掘り下げた部分には、密教修行の実際に触れるところがあります。そのため、書物としては作っていますが公開はせず、今後、限定版として、チュン・トゥルク・リンポチェの許可を得た方にのみ、手渡しでお渡しすることにしています。

序 文

著者から読者へ

この本を手にとってくださったことを、心から嬉しく思います。

仏教は、今から約二千五百年前に一人の人間の問いから始まりました。その問いは「なぜ人間は苦しむのか。その苦しみから、根本的に自由になれるか」というものでした。この問いは今も変わっていません。時代が移り、文明が変わり、科学技術が飛躍的に発展しても、人間が苦しむという事実や、その苦しみの根源も、変わっていないからです。

私がこの本を書いた動機は、一つの思いからです。

——仏教が二千五百年をかけて積み上げてきた「苦しみからの解放への道」の地図は、現代日本にこそ必要ですが、残念ながら、その全体像がほとんど知られていないのでは、という思いです。

日本には一千五百年に及ぶ仏教の歴史があります。にもかかわらず、多くの日本人にとって仏教は「お葬式の宗教」あるいは「先祖供養のための儀式」として認識されています。その歴史自体は尊いことですが、仏教が本来持つ、人間の苦しみの根源を解明し、その根本的な解放(解脱)への完全な道を示すという、本来の姿が伝わっていないように見えます。

この十五乗という見方から眺めると、釈尊の教えに始まり、大乗仏教として深まり、さらにチベットへ、そしてブータンへと伝えられた後期密教——無上瑜伽タントラ、そしてゾクチェン(大円満)、最後にヤンティ・ナクポの教え——までを、一つの連続した道として描いてみました。日本には主に顕教と外タントラの豊かな伝統が根付きましたが、この地図は、その先にもさらに道が続いていることを示していると、私は考えています。

本書はその全体像を、第一乗の声聞乗から、第十五乗のヤンティ・ナクポの教えに至るまで、体系的に示そうとするものです。これは日本仏教を否定するものではありません。日本仏教が育んできた大乗仏教の説く菩薩道の豊かな土台の上に、その先にある道筋を加えることで、仏教の本来の姿全体を示したいと考えています。

本書は、仏教に初めて触れる方から、長年仏道を歩んでいる方まで、幅広い読者を想定して書かれています。専門用語には解説を加え、哲学的概念にはできる限り平易な言葉での説明を添えました。同時に、人類が生み出した最も精緻な精神の探求を、その深さを損なわずに伝えることも目指しました。

読み進める中で、「これは自分のことだ」と感じる瞬間があるかもしれません。あるいは「こんな道があったのか」と驚く瞬間があるかもしれません。そのような瞬間こそが、二千五百年の時を超えて、仏陀の教えが今のあなたに届いた瞬間ではないでしょうか。

川﨑清嗣

謝 辞

本書は、多くの師と道友に導かれて成ったものです。ここに記して感謝を申し上げます。

まず、仏教の世界のみならず、広大なチベット仏教の世界へと導いてくださった、台湾・總持寺の普方金剛大阿闍梨に。

普方上師の遷化ののち、ゾクチェンへと導いてくださった中沢新一先生に。そして先生の師である、ケツン・サンポ・リンポチェに。

さらなる学びを求めて赴いたニューヨークのリトリートで、温かく迎えてくださったペイユル派の皆さまに。カルマ・クチェン法王、ギャンカン・トゥルク、ムクサン・トゥルクに。

インド・ナムドゥルリン寺でのゾクチェンのリトリートにおいて、個人指導を引き受けてくださったケンチェン・ツェワン・ギャツォ・リンポチェに。

そして、台湾で普方上師から教えを受けたヤンティ・ナクポを、現実のものとして与えてくださった、ブータンのチュン・トゥルク・リンポチェに。

ここに書き尽くすことのできない多くの諸先輩と、金剛の兄弟姉妹の皆さまに。

心から感謝を申し上げます。

目 次

顕教編(序〜第17章)の目次です。表題をひらくと、節までご覧いただけます。密教編と付録は、題名だけを掲げています。

序文・序章25項目
序 本書について
序 文 著者から読者へ
謝 辞
序 章 現代人に、なぜ仏教が必要なのか
一 あなたは幸せですか?
二 現代日本人の「苦」——豊かさの中の空虚
物質的豊かさと精神的貧しさの逆説
現代特有の「苦」の構造
それでも埋まらないもの
三 釈尊の問いは今も同じ——二千五百年の普遍性
四 苦の根源は「心の構造」にある
外を変えても消えない理由
心の三つの毒——貪・瞋・痴
業(カルマ)——苦を生み出し続けるメカニズム
五 仏教という答えの独自性
「信じよ」ではなく「確かめよ」
悟りは「特別な人だけのもの」ではない
心の科学としての仏教——対話と超越
六 道がある——十五乗という深遠な見取り図
仏教は体系的な「道の科学」である
なぜ日本人に紹介したいと考えたか
この苦の時代に、道がある
七 本書を読まれる方へ
師の不可欠性について
最後に
総説1項目
総説 十五乗の地図
顕教編 第I部〜第IV部108項目
第I部〜第IV部 釈尊の問いから、菩薩の道へ
第1章 釈迦牟尼——一人の人間の問いと答え
仏教は「宗教」か「哲学」か「修行体系」か
苦の分析——一切皆苦
十四無記——釈尊が答えなかった問い
悟りへの道——菩提樹下の成道
第2章 四聖諦——苦の構造と、そこから出る道
苦の三層構造——三苦と四苦八苦の対応
渇愛の詳解——三種の渇愛と滅尽の道
第3章 八正道と三学——修行の基本構造
八正道(はっしょうどう)
三学(さんがく)——八正道の骨格
戒律(かいりつ)——修行者の種別と戒の体系
シャマタとヴィパッサナー——止と観
九住心(くじゅうしん)——シャマタの九段階
禅の十牛図(じゅうぎゅうず)——もう一つの比較対象
第 II 部 声聞乗・縁覚乗と釈尊の悟り
第4章 声聞乗(第1乗)——四向四果の修行階梯
声聞(しょうもん)とは
十結(じっけつ)——輪廻を縛る十の鎖
四向四果——悟りへの四段階
阿羅漢——小乗のゴール
七科三十七道品——声聞乗の修行体系全図
第5章 縁覚乗(第2乗)——独覚の道
十二縁起(じゅうにえんぎ)——苦しみの連鎖の詳解
三界(さんがい)——迷いの世界の全体構造
第6章 四禅定・四無色定・滅尽定——意識の深化の地図
なぜ禅定(ぜんじょう)が必要か
五蓋と五支——禅定を妨げるものと支えるもの
五蓋(ごがい)——智慧を覆う5つの障害
五支(ごし)——初禅を構成する5つの精神作用
五蓋と五支の一対一対応
四禅定・四無色定・滅尽定
四禅定の内的体験——詳解
四無色定(しむしきじょう)の内的体験——色を超えた四つの深まり
釈尊の成道と禅定——外道禅の超越から煩悩断滅までの全プロセス
悟りの内容——仏智と無分別智、分別知との決別
止と観——禅定と智慧の関係
滅尽定(めつじんじょう)の逆説
第7章 煩悩障と所知障——二種類の障害
大乗が発見した二つの次元の障害
煩悩障の構造
見惑・修惑と煩悩障・所知障——小乗と大乗の立体的クロス構造
所知障とは具体的に何か
第8章 アビダルマ哲学——説一切有部の世界観
説一切有部(Sarvāstivāda)——存在の精密な分析
心所法・心不相応行法・無為法——各カテゴリの詳解
経量部(Sautrāntika)——説一切有部への内部批判
アビダルマ哲学の遺産
第 III 部 大乗の哲学——中観・唯識・法無我
第9章 龍樹と中観——「空」という革命
龍樹(ナーガールジュナ)——伝記と思想的背景
『中論』の構造と核心
テトラレンマ(四句分別)——論理の解体ツール
空性の意味——虚無ではない
二諦(にたい)——勝義と世俗の区別
中観の系譜——龍樹から現代チベット仏教まで
中観の展開——帰謬論証派と自立論証派
空性と慈悲——なぜ菩薩道と結びつくか
第10章 唯識(ゆいしき)——心の革命的分析
無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)——伝記と著作
唯識の依拠経典——哲学の根拠となった大乗経典
唯識の後継者たち——インドから中国・チベット・日本へ
中観からの問い——何が変容するのか
八識の体系
三性説(さんしょうせつ)——存在の三つの側面
転識得智——意識の転換
中観と唯識の統合
唯識の内部分派——心に浮かぶ姿は本物か
アマラ識(阿摩羅識)——第九識
第11章 仏教哲学の系譜と密教への展開
如来蔵思想——密教への接点
第12章 人無我と法無我——小乗と大乗の悟りの質的差異
無我(アナートマン)——仏教の核心
法無我が菩薩道の根拠となる論理
第13章 大乗仏教の瞑想論と密教への橋渡し——小乗・中観・唯識・如来蔵が一つになるとき
小乗の智慧と大乗の空性——修行論的な連続と乖離
唯識の「深層心理的アプローチ」——中観の限界への応答
如来蔵思想——中観と唯識の出会い点
小乗・中観・唯識・密教——四つのアプローチの構造
密教化の内的論理——なぜ単なる禅の深化ではなかったか
第 IV 部 菩薩道の実践——第3乗(菩薩乗)
第14章 日本仏教と菩薩乗——あなたはすでにどこにいるか
日本仏教の出発点——奈良仏教と南都六宗
華厳経と華厳哲学——中観・唯識を超えた宇宙的ビジョン
日本人と大乗仏教
菩提心(ぼだいしん)——菩薩乗の出発点
第15章 六波羅蜜——菩薩の六つの実践
六波羅蜜の個別解説
シャーンティデーヴァと『入菩薩行論』——六波羅蜜の最高の詩
六波羅蜜と日本仏教の実践
第16章 五道十地と五十二位——菩薩の修行の地図
大乗の修行地図には複数の体系がある
五道(ごどう)——チベット系大乗の五段階
十地(じゅうじ)——見道から仏地までの十段階
五十二位——中国・日本仏教の修行体系
五十二位の詳細——七グループのそれぞれの意味
三つの修行体系の比較——小乗・大乗(日中系)・大乗(チベット系)
大乗が生み出した逆説——「日劫相倍(にっこうそうばい)」
「仏地の理想化」という問題——三つの切実な緊張
密教の応答——「認識を変えることで時間を超える」
第17章 顕教の経典群——その豊かさと射程
「顕教」という概念
主要な顕教経典——あなたが手を合わせてきたお経
顕教が到達した地点と、そこから先の道
天台宗——日本仏教の母
浄土門と禅門——十五乗のどこに置くか
結論——なぜ大乗仏教は密教を必要としたか
密教編 第V部〜第IX部17項目
第V部〜第IX部 外タントラから、ヤンティ・ナクポへ
第18章 密教とは何か——顕教を超える論理
第19章 密教内部の階梯——四タントラ分類と日本密教の位置
第20章 空海と日本密教の成立
第 VI 部 無上瑜伽タントラ——第7・8乗(マハー・アヌ)
第21章 無上瑜伽タントラ——三つの独自性
第 VII 部 アティヨーガ/ゾクチェン——第9・10・11・12乗
第22章 ニンマ派の九乗教判——アティヨーガへ
第 VIII 部 ゾクチェンの内的階梯——見解/セムデ・ロンデ・メンガクデ/ニンティク(第10〜14乗)
第23章 ゾクチェンの見解(タワ)——本質・自性・悲用
第24章 ゾクチェン三部——セムデ・ロンデ・メンガクデ
第25章 ニンティク——メンガクデの心髄(第13・14乗)
第 IX 部 ヤンティとヤンティ・ナクポ——道の完成
第26章 ヤンティ——精髄の精髄(第13〜15乗:アティ・チティ・ヤンティ)
第27章 ヤンティ・ナクポ——暗闇の修行
第28章 全体の比較——小乗から大乗・密教・ゾクチェンへ
第29章 修行の実際の歩み方
付 録7項目
付録A 主要経典・論書一覧
付録B 主要術語集
付録C 十五乗一覧
付録D 主要人物一覧
付録E 主要参考文献
付録F 仏教史年表
あとがき

——ここまでが、本書の序文と目次です。

顕教編の本文は、会員のページでお読みいただけます。