ཨོཾ་བཛྲ་སཏྭ་ས་མ་ཡ།
百字明とは
サマヤ(密教の誓約)は破られることがあります。人は完全ではなく、誓ったことを守り通せないこともあります。伝統はそれを織り込んだうえで、破れたものを回復する手立てを用意しました。それが金剛薩埵(こんごうさった)の百字真言です。
金剛薩埵は、本源の清浄そのものを一体の仏として表したものです。汚れを洗い流す働きがこの仏に託されているのは、汚れが本来なかったことを思い出させるためだと説かれます。ニンマ派では、ゴンドゥ(前行)の第二にこの真言を十万遍唱える実践が置かれています。日本の真言宗にも「百字明」として伝わりました。
前半で誓約を守り保つことを願い、中ほどで心を善きものにしてほしいと願い、最後に「私を見捨てないでほしい」と繰り返します。清めの呪文であるよりも、関係を結び直す言葉だといえます。
日本の百字明とのかかわり
真言宗で唱えられる百字明も、もとは同じサンスクリットの真言です。ただ、日本では梵字の読み方をもとにした読み癖で、チベットではチベットの読み癖で唱えられてきたため、耳に届く響きは異なります。このページの読み方は、チベットでの読み癖に従っています。
唱えるときに
このページのチベット文字は、サンスクリットをチベット文字で書き写したものです。読み方(カタカナ)は、チベットでの読み癖に従って記しました。法会などでは、導師の唱え方に合わせてください。
数を唱えるだけでは働きません
浄化が働くには四つの力が要るとされます。信(依止力)、過ちを悔いる心(破悪力)、繰り返さない決意(防護力)、実際に対治となる行(対治力)です。悔いる心のないところに浄化は成り立ちません。なお、金剛薩埵を頭上に観じる正式な修法は、師の伝授を前提とします。
通して唱える
ཨོཾ་བཛྲ་སཏྭ་ས་མ་ཡ། མ་ནུ་པཱ་ལ་ཡ། བཛྲ་སཏྭ་ཏྭེ་ནོ་པ་ཏིཥྛ། དྲྀ་ཌྷོ་མེ་བྷ་ཝ། སུ་ཏོ་ཥྱོ་མེ་བྷ་ཝ། སུ་པོ་ཥྱོ་མེ་བྷ་ཝ། ཨ་ནུ་རཀྟོ་མེ་བྷ་ཝ། སརྦ་སིདྡྷི་མྨེ་པྲ་ཡཙྪ། སརྦ་ཀརྨ་སུ་ཙ་མེ། ཙིཏྟཾ་ཤྲེ་ཡཾ་ཀུ་རུ་ཧཱུྃ། ཧ་ཧ་ཧ་ཧ་ཧོཿ བྷ་ག་ཝཱན། སརྦ་ཏ་ཐཱ་ག་ཏ། བཛྲ་མ་མེ་མུཉྩ། བཛྲཱི་བྷ་ཝ་མ་ཧཱ་ས་མ་ཡ་སཏྭ་ཨཱཿ
オム・ベンザ・サトー・サマヤ/マヌ・パーラヤ/ベンザ・サトー・テノパ・ティタ/ディド・メ・バワ/スト・カヨ・メ・バワ/スポ・カヨ・メ・バワ/アヌラクト・メ・バワ/セルワ・シッディ・メ・プラヤッツァ/セルワ・カルマ・スチャ・メ/ツィッタム・シュリヤム・クル・フーン/ハ・ハ・ハ・ハ・ホー/バガワン・セルワ・タターガタ/ベンザ・マ・メ・ムンツァ/ベンズィ・バワ・マハー・サマヤ・サトー・アー
一句ずつの意味
金剛薩埵(こんごうさった/ドルジェ・センパ、rdo rje sems dpa'/梵:Vajrasattva)
「金剛の勇者」。本源の清浄そのものを表す報身の仏。
本文・読み方・意味は、当センターのテキスト『仏教の俯瞰図——ニンマ派九乗教判をもとに十五の区分でたどる教え』第18章「金剛薩埵の百字真言——サマヤを回復する」によります。
