一つの山に、いくつもの道がのびている絵

山は 一つ、道は たくさん

仏教って、なんだろう
川﨑清嗣
① よるに かんがえること
①

よるに かんがえること

夜、ふとんに入ってから、ふっと考えることはありませんか。

どうして、いやなことが起きるんだろう。どうして、好きなものはなくなるんだろう。どうして、みんな、いつか死ぬんだろう。

その問いを、二千五百年前に、同じように考えた人がいました。

② 門の そとで 見たもの
②

門の そとで 見たもの

その人は、インドの国の王子でした。名前をシッダールタといいます。

お城の中には、きれいなものしかありませんでした。お父さんが、そうしていたのです。

けれど王子は、門の外へ出ました。そして見たのです。

年をとった人。病気の人。死んだ人。

「わたしも、そうなるのか」

王子は、お城を出ていきました。

③ やせて、やめた
③

やせて、やめた

王子は、六年のあいだ、体をいじめる修行をしました。

食べるのをやめ、息を止め、骨と皮だけになりました。

けれど、答えは出ませんでした。

ある日、王子は立ち上がり、差し出されたおかゆを、食べました。

いっしょに修行していた仲間は、「あいつは負けた」と言って、去りました。

苦しめても、だめ。甘やかしても、だめ。王子は、そう気づいたのです。

④ 星が 出るころ
④

星が 出るころ

王子は、大きな木の下に座りました。

「わかるまで、立たない」

夜どおし、座っていました。

そして、明けの明星が出るころ、王子は、気づきました。

その日から、この人はブッダとよばれます。「気づいた人」という意味です。

日本では、おしゃかさまとよびます。

⑤ 川は 同じ川じゃない
⑤

川は 同じ川じゃない

おしゃかさまが気づいたことの、一つめ。

なんにも、そのままではいない。

川に足を入れてみてください。つめたい水が流れていきます。

もう一度、同じところに足を入れます。でも、さっきの水は、もう、ずっと下に行っています。

同じ川に見えて、同じ川ではありません。

これを、無常(むじょう)といいます。

あなたも、昨日のあなたではありません。

⑥ ひとりで できたものは ない
⑥

ひとりで できたものは ない

二つめ。

ひとりでできたものは、ひとつもない。

いま持っているノートは、木からできています。木は、雨と土と光で育ちました。雨は雲から、雲は海から。それを運んだ人がいて、売った人がいて、買ってくれた人がいます。

ノート一冊の中に、世界じゅうが入っています。

これを、縁起(えんぎ)といいます。

⑦ 「わたし」を さがす
⑦

「わたし」を さがす

三つめ。ここが、いちばん不思議です。

「わたし」というものを、さがしてみてください。

手は、わたしですか。切っても、わたしは残ります。考えは、わたしですか。さっきと今で、ちがいます。名前は、わたしですか。変えても、わたしです。

どこにも、「これがわたしだ」というかたまりは、見つかりません。

でも、いないわけではない。いま、さがしている人が、ここにいます。

ないのではなく、思っていたのとちがうのです。

⑧ こころは あばれる象
⑧

こころは あばれる象

さて、じっとしていられますか。

十数える間、何も考えずにいてください。——たぶん、できません。

心は、あばれる象のようなものです。その前を、猿が走っています。猿は、目についたものに次々と飛びつく心です。

あなたは、うしろから追いかけます。持っているのは、二つだけ。

縄——いま何をしているか、忘れない力。鉤——あ、またそれた、と気づく力。

これを続けていくと、象は少しずつおとなしくなります。チベットの古い絵では、はじめ真っ黒だった象が、だんだん白く描かれていきます。白くなるのは、心が落ちついてきたしるしです。

そして最後には、追いかけなくても、そこにいるようになります。

うまくなるというのは、がんばらなくてもできるようになる、ということです。

⑨ コップは どこにある
⑨

コップは どこにある

ここに、コップがあります。

でも、「コップそのもの」って、どこでしょう。

ガラスは、コップではありません。形は、コップではありません。水を入れるという役目も、コップではありません。

ぜんぶ集まったときに、わたしたちが「コップ」と呼んでいるだけ。

あるのだけれど、「これだけで、ずっとあるもの」ではない。

これを、空(くう)といいます。

「何もない」ことでは、ありません。「かたまりではない」ということです。

⑩ 先に 行かない人
⑩

先に 行かない人

おしゃかさまのあと、人々は考えました。

「自分だけ楽になって、それでいいのか」

そこで、こう願う人たちが出てきました。

「みんなが渡り終わるまで、わたしは行かない」

この人たちを、菩薩(ぼさつ)といいます。

いちばん上まで来て、最後の一段をのぼらずに、振り返る人です。

⑪ もう もっている
⑪

もう もっている

昔のお経に、こんな話があります。

貧しい人がいました。その人の服の裏には、友だちが縫いつけた宝石がありました。

けれど本人は知らないまま、何年も、物ごいをして歩いていました。

——わたしたちも、同じだといいます。

もう持っているのに、持っていると知らないだけ。

⑫ 鏡は 自分の顔を 見られない
⑫

鏡は 自分の顔を 見られない

では、何を持っているのでしょう。

鏡を思いうかべてください。

鏡は、なんでも映します。花も、鳥も、あなたの顔も。

けれど鏡は、自分の顔だけは、映せません。

あなたの心も、同じです。

見ている。聞いている。考えている。一度も、止まったことがありません。

でも、見ている心そのものを、見たことはありません。いつも外のものばかり見ていて、見ている自分には目が向かないのです。

⑬ さがしても 見つからない
⑬

さがしても 見つからない

だから、さがしても見つかりません。

さがしているのが、その心そのものだからです。手で、その手自身をつかむことができないのと同じです。

暗い部屋で、懐中電灯をつけます。机も、椅子も、壁も見えます。

でも、電灯そのものは、どうやっても照らせません。

新しい力を手に入れるのではありません。えらくなるのでもありません。

もともとあったものに、気がつくだけなのです。

道のりが長いのは、遠くへ行くからではありません。ずっとここにあった、と気がつくまでに、それだけかかるというだけのことです。

⑭ 山は ひとつ、道は たくさん
⑭

山は ひとつ、道は たくさん

おしゃかさまの気づいたことは、インドから、いろいろな国へ広がりました。

朝、はだしで托鉢(たくはつ)に歩く国があります。だまって、壁に向かって座る国があります。雪の山の寺で、ほら貝を吹く国があります。会社帰りに、目を閉じる街があります。

服も、言葉も、やり方も、ちがいます。おたがいのことを、知らないことさえあります。

でも——

山は、ひとつです。

のぼる道が、たくさんあるだけなのです。

だから、どの道がえらい、ということはありません。あなたの近くにある道を、のぼればいい。

そして、どの道にも、先にのぼった人がいます。

ひとりで、のぼらないこと。

ぼうっとしているだけなのか、ほんとうに気づいているのか——それは自分では、わからないからです。

⑮ おわりに
⑮

おわりに

この本に書いたことは、二千五百年のあいだ、世界じゅうの人が、たしかめてきたことです。

肌の色も、言葉も、神さまの名前もちがう人たちが、それぞれの場所で、同じことに気づいてきました。

あなたは、もう持っている。まだ、気づいていないだけ。

いつか、ふっと気がつく日が来ます。

どの道をのぼっても、かまいません。

山は、一つなのですから。

そのときのために、この本を、ここに置いておきます。

この絵本は、どなたでもご自由にお読みいただけます。

作・川﨑清嗣 / Three Kaya Dharma Center