説法されるチュン・トゥルク・リンポーチェ
法座にて説法されるリンポーチェ(二〇二六年四月、来日の折に)

チュン・トゥルク・リンポーチェは、チベット仏教ニンマ派の法系を継ぐ転生ラマです。その法系は、テルトン・クンザン・トンドゥル・ドルジェ(トゥルシク・ドンガク・リンパ)にはじまり、先代チュン・リンポチェを経て、当代へと受け継がれてきました。

ここでは、当代リンポーチェのご経歴と、先代チュン・リンポチェのご生涯をご紹介します。

伝承図

ヤンティ・ナクポの法流が、どなたからどなたへ受け継がれてきたのかを一枚にまとめたものです。図を押すと大きく表示されます。

トゥルシク・ドンガク・リンパとその化身たち — ヤンティ・ナクポの法流図
トゥルシク・ドンガク・リンパとその化身たち — ヤンティ・ナクポの伝承

法流を支えた人びと

伝承は、図の上だけのものではありません。日々そのかたわらで支えた方々がおられます。

先代チュン・リンポチェにお仕えになった女性と、当センター代表
ブータンにて。先代チュン・リンポチェにお仕えになった方と

ブータンでお目にかかった、この写真の女性のご両親は、トゥルシク・ドンガク・リンパの従者として仕えられた方々です。お食事の支度から身のまわりのお世話まで、日々のことをお引き受けになりました。

そしてご本人もまた、先代チュン・リンポチェの従者としてお仕えになりました。親子二代にわたって、この法流のかたわらにおられたことになります。

教えは、書物や図だけで伝わるものではありません。こうした方々の手を通って、今日まで運ばれてまいりました。

当代 チュン・トゥルク・リンポーチェ

微笑まれるチュン・トゥルク・リンポーチェ
チュン・トゥルク・リンポーチェ

チュン・トゥルク・リンポーチェ(H.E. Chung Tulku Rinpoche)は、チベット仏教ニンマ派に属するブータンの師であり、トゥルクとして認定された僧です。ヤク飼いの家に七人兄弟の一人として生まれ、そのうち五人がトゥルクとして認定されたと伝えられています。

幼少期と認定

  • ブータンのバマルポ(Bhamarpo)に生まれる。聖なる三峰の山ガンカル・プンスムの近くに位置します。
  • 誕生の際には数々の吉祥の兆しが現れました。家の周囲に虹が現れ、近くを流れる黒い川ドゥール川が乳白色に変わり、臍の緒が金剛杵(ヴァジュラ)の形をしていたと伝えられています。
  • 六歳のとき、ニンマ派の高僧ディルゴ・ケンツェ・リンポーチェによって認定され、ネパールのシェチェン僧院へ送られて、五年間学ばれました。
  • 十四歳のとき、インド・ブッダガヤで行われたニンマ派モンラム(大祈願法会)において、ペノル・リンポーチェ法王により、トゥルシク・ドンガク・リンパの第三の心の化身として正式に即位しました。

教育

一九九六年から二〇〇八年まで、南インド・マイソールのナムドゥルリン僧院にあるンガギュル・ニンマ学院で学ばれ、仏教哲学の修士号を取得されています。

現在の活動

  • ブータン・ブムタンにあるタルパリン僧院(Tharpaling Monastery)の前管長。この僧院は学僧クンケン・ロンチェンパの座所であり、『七宝蔵』が著された場所として知られています。
  • ブータンにおいて瞑想の普及を目的とした非営利団体「Dhyana」を創設。現代社会におけるうつ、不安、精神的苦悩などを和らげるため、あらゆる人々に瞑想実践を広める活動を行っています。
  • ツォギャル・ルントク・テンゲィリン尼僧院の責任を担っており、現在十九名の尼僧が修行しています。
  • ポーランド、ハンガリー、クロアチア、ドイツ、オーストラリア、アメリカなど、世界各国で教えを説いています。
  • ニンマ派で最も重要な実践体系の一つであるロンチェン・ニンティク(心髄の大いなる広がり)の伝承と指導に尽力。ゴンドゥ(前行)からゾクチェン(大円満)に至るまでの道を示すものです。
  • ゾクチェン・ヤンティナクポの教えを伝える方のお一人として、その護持と伝承に力を注いでおられます。

リンポーチェは、温かく親しみやすい教え方で知られ、古くから伝わる智慧を、現代の課題に向き合う方々にも受け取りやすい形でお伝えになろうとしておられます。

十四歳で受け継がれたトゥルシク・ドンガク・リンパの法系について、その直前の代にあたる先代チュン・リンポチェのご生涯を、続いてご紹介します。

先代 チュン・リンポチェ

法座にて加持を授けられる先代チュン・リンポチェ
先代 チュン・リンポチェ

当代のリンポーチェは、テルトン・クンザン・トンドゥル・ドルジェ(トゥルシク・ドンガク・リンパ)にはじまる法系を継いでおられます。ここでは、その直前の代にあたる先代チュン・リンポチェのご生涯をご紹介します。

トゥルク(転生ラマ)とは、高い境地に達した僧が、人々を導くために意志をもって生まれ変わった存在のこと。チベット仏教では、幼い子どものなかからその生まれ変わりを見いだし、幼少期から特別な教育を授ける伝統があります。

予言

『サマンタバドラの心髄』に、次のように説かれています。

私、ペマサンバヴァとヴァイロチャナは、同時に衆生を顕現させ、解脱させる。なぜなら彼は私自身の化身であるから。未来において、もし汝が私と同じように顕現するならば、その名はトゥルジグ・オセル・ドルジェとなるであろう。

化身系譜とご両親

トゥルシク・クンザン・トンドゥル・ドルジェには、ブータンのトンサ地方ランテル出身の女性弟子がいました。ある夜、彼女はザンドク・パルリの浄土から五色の光が放たれ、その光が自身の心臓に入る夢を見ます。その瞬間、彼女は至福に満たされました。翌朝早く、師にその夢を語ると、師は「これは自分の化身の一人が彼女から生まれるという吉兆であるから、秘密にしておくように」と告げました。

後に彼女は、クンザン・ジグメ・ティンレー・ナムゲルと結婚します。ヘルカ・ジグメ・パウォおよびジャムヤン・ケンツェ・ワンポの近しい弟子であり、ブータンを訪れ、ケンパ・ジョンおよびクルトエ地方に修行センターを設立した方です。ブータン初代国王ウゲン・ワンチュクも、その弟子となりました。

母方の長兄はラハルン寺院の金剛阿闍梨、次兄は初代国王ウゲン・ワンチュクの首席書記官でした。二人の兄がチベット巡礼から帰国したことに触発された母は、チベットのロダク地方にあるラハルン寺院を訪れ、第九世スントゥル・リンポチェのもとで修行の道を歩みました。

誕生

チュン・リンポチェは、水猪年サガ・ダワ月の十五日、満月の日に、ブータン・ブムタン地方チェコル・トエにあるクンザン・ヤンツェ僧院にて、多くの吉祥な兆しとともに誕生されたと伝えられています。

サガ・ダワはチベット暦の第四月。釈尊の降誕・成道・涅槃がいずれもこの月の満月の日に起きたとされ、一年でもっとも神聖な月とされます。

幼少より高貴な存在の資質を生来具え、あらゆることを容易に習得されました。父が直接指導にあたりました。

クンザン・トンドゥル・ドルジェが涅槃に入った後、その筆頭弟子であるザロンプ・トゥルク・テンジン・ノルブは、ザンドク・ペルリの浄土から二条の光線が放たれ、一条は南方に、もう一条は自身に降り注ぐという特別な夢を見ました。これは、師の化身が二名あらわれるという予言でした。

転生の認定

チュン・リンポチェは長兄ラリ・ジンプク・トゥルクの寺院に入り学ばれました。一般の少年として学んでいる間に、持明者クンザン・トンドゥル・ドルジェ(別名ドンガク・リンパ)の意化身として認定されます。

意化身とは。一人の高僧の生まれ変わりが、身・口・意の三つの側面に分かれて現れると考えられることがあります。「意の化身」は、そのうち心の働きを受け継ぐ存在とされます。

前世の座に招かれ、前世の遺品を識別するよう求められましたが、彼はあえて何も認識しない素振りをして沈黙を保ちました。

翌日、寺院の周囲を歩いていた際に自分の馬を見つけると、はっきりと喜びを示し、その馬の名を口にして「この馬はかつて自分のものだった」と告げられたと伝えられています。これにより、クンザン・トンドゥル・ドルジェの転生であることが周囲に受けとめられ、寺院に留まるよう請われました。

修学と成就

しかし彼はそれを断り、ガンリ・トエカルのシュクセプ・ジェツンマのもとへ向かいます。父方のおばにあたる方です。

シュクセプ・ジェツンマは、ロチェン・チョニ・ザンモとしても知られる、二十世紀チベットを代表する女性行者のお一人。ガンリ・トカル(白骸骨雪山)の山腹にあるシュクセプ僧院に住し、多くの弟子を導かれました。この山は、ロンチェンパが修行した地とも伝えられます。

彼女から成熟と解脱の口伝を受け、さらにさまざまな師のもとで、四宗派に共通する論書と不共の論書を修められました。八車軌成就の系譜の灌頂・口伝・教授を受け、とりわけニンマ派のドゥ・ギュ・セム、およびカマ・テルマの教えと成熟解脱の要訣を授かり、学と行の両面を修められました。

二十一歳のとき具足戒を受け、クンザン・オセル・リグジン・ドルジェと名づけられました。ラサ、サムイェ、タシルンポを訪れる中で多くの成就者と出会い、ゾクチェンのアティヨーガ、チェツン・ニンティク、ゴンパ・ザンテル、クスントゥク・ティク、そして前世の伏蔵であるヤンティク・ナクポ・セルギ・ドゥルチグマなど、多くの教えを受けられました。

ヤンティナクポは、ゾクチェンの教えの最奥に位置づけられる伝承であり、当センターが学びの中心に据えている教えです。先代が前世において伏蔵として見出された教えである点に、法系上の重要な意味があります。

衆生利益の活動

兄の寺院で貫首となり、一般の典籍から密教の経典に至るまで、多くの弟子に教授されました。日々の授業に加えて修行に励まれ、上弦・下弦のそれぞれ十日ごとにガナチャクラ(輪供養)の儀式を執り行われました。その日々は、法の修行者としての模範と仰がれました。

その指導と加持のもと、寺院からは多くの学者と成就者が育ち、教法の興隆に寄与したと伝えられています。

ブータンへ

生涯を閉じこもって修行することを本来の志としていた彼は、兄の涅槃後も後継者となることを断り、ブータンのクルトエへ赴きました。クルトエ地方のタシ・トドカルなどの孤独な場所で修行中、環境が合わず病を患います。

ブータンの内務大臣タムジン・ギャガルの招請を受けて荷物をまとめブムタンへ向かおうとしましたが、クルトエの人々が出発を阻みました。しかし彼はパサムルンを経由してブムタン・チェコル・トエのドゥルドゥルク・クンザン・ヤンツェ寺院に到達します。携えていたのは宗教文書のみでした。

浄現

吉祥な日に、彼はセルケムとサン(煙の儀式)の広大な供養を行いました。その結果、グル・リンポチェ、グルの二十五人の弟子、全知者ロンチェンパおよびジグメ・リンパが現れ、予言を授けました。

グル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)は、八世紀にチベットへ仏教を伝えた大成就者で、ニンマ派の祖とされます。「蓮華から生まれた者」の意。このサイトの名前 lotus-born も、この方のお名前に由来します。

多くの偉大な師が訪れたその聖地は、自然の薫香と花の芳香に満ち、鳥のさえずりと清流のせせらぎが美しい旋律を奏で、緑の高木と茂みが景色に荘厳さを与え、神々の浄土と見紛うばかりでした。彼はそこで十八年以上、途切れることなく修行を続けられました。

行者としての生涯

極めて質素な行者として生き、道で出会う動物にさえ敬意を示されました。冬、雪の上を裸足で歩くと、その足跡に法螺貝の紋様が現れたとも伝えられています。

その名声は国の各地に広まり、灌頂・口伝・教授の付与、病に苦しむ者や亡き者への法要執行を通じて、多くの衆生を利益されました。第十世スントゥル・ペマ・オセル・ギュルメ・ドルジェ、第六世ナムカイ・ニンポ・ペマ・テンジン・ナムゲル、第十世トゥクセ・テクチョ・テンペイ・ゲルツェン、第四世パツェリン・トゥルク・クンザン・ティンレー・ナムゲル、タムジン・チョジェ・ラマ・プンツォ、カトク・リンポチェ・ンガワン・ティンレー、チェドゥラク・ラマ・リンチェン・ドルジェら多くの方々が、典籍の理解と修行の成就に関して彼のもとで疑問を明らかにされました。

遷化

一九八〇年十月十三日、衆生利益のすべての活動を円満に成就した後、チュン・リンポチェはブムタン・チェコル・トエの自坊にて涅槃に入られました。

合掌

リンポーチェの著作

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